

2008年にサンフランシスコで兼松幸治さんによりおにぎり店としてスタートしたOnigillyが、創業18年にしてフランチャイズを開始しました。前回はその創業からアメリカ市場におにぎりを紹介するフェーズまでをご紹介しました。後半ではおにぎりをアメリカで大衆化させるために取り組んだローカライズや、コロナ禍での苦労、今後の展開をご紹介します。
関連記事:アメリカでついに 日本人起業家によるおにぎり店がFC開始①
“コメ”に馴染みのないアメリカ人にとって“コメ”がメインのおにぎりに「サイドならまだしもライスをこんなに食べるの?」というイメージがあるようです。兼松さんはアメリカにある日本食レストランやアジアンレストランを食べ歩き、アメリカ人に受け入れてもらえるおにぎりに行きつくまで5年掛かりました。100種類以上の具材を試作し、最終的に分かったのはライスと具材の割合の重要性です。ごはんを味わう習慣の無いアメリカでは、ごはんより具材が多いほうが好まれます。そこでOnigillyでは、はみ出る具材をごはんでサンドし、海苔で巻くスタイルに行きつきました。また、照り焼きチキンやガーリックシュリンプなど、おにぎりの具材としては一般的ではないものも開発しました。
アメリカにある多くのアジアンレストランではライスに白米と玄米の選択肢があるため、白米で作られたおにぎりに健康面で懐疑的な人が多く、ご飯の配合も白米と玄米を混ぜるなど工夫が必要だったと言います。こうして全てが消費者の求める黄金比率になったとき、店に行列ができるようになりました。現在Onigillyの人気メニューは照り焼きチキンとウナギだということです。
コロナ禍直前の2019年にプライベートエクイティ会社の出資を受け、サプライチェーンの整備や調理の一部自動化に向けて計画が進んでいたのですが、コロナ禍で全て停止しました。5店舗あった店は一旦全て閉店し、ゴーストキッチンでオンライン販売を開始しましたが、認知度の低いおにぎりという商品には大変不利な状況で、おにぎり以外の商品も販売する方向に舵を切ったと言います。このコロナ禍での調整が今のメニュー展開にも活きていると兼松さんは話し、今思えば、無くてはならない期間だったと振り返っています。
コロナ禍を経て、その後2店舗を再開したOnigillyは、現在ショッピングモール内のキオスク販売に注力しています。Onigillyにとってショッピングモールでの出店は最適だと兼松さんは考えています。省スペースであり、多様性のある客層、食事・軽食両方の需要が高く、Onigillyを目的としない人たちへの訴求効果もあるためです。
2025年現在アメリカ市場を見渡して、チェーン展開するアジアンレストランはそれほど多くありません。日本のチェーン店がアメリカ市場に参入する場合の障壁について、兼松さんには彼なりの見解があります。それは、日本のマニュアルをそのままアメリカに持ち込もうとするため、アメリカに合ったマニュアル化ができていないこと。そのため、シェフなど高度な技術者を雇うことになり人件費がかさんでしまうことなどが挙げられるとしています。
現在、Onigillyでは日系グループによる加盟店が1つあり、今後は南カリフォルニア、サンディエゴでの拡大が決まっています。その後、米国内の各大都市へフランチャイズ展開を狙っており、慎重に進めていますが、そう遠くはない未来の話になるでしょう。いま多くの人々が日本食に興味を持っていて、まさにOnigillyにとって機が熟したところです。
情報元
米国進出、日米FCビジネスにご興味がある方は、
I. Fujita International, Inc( ichiro@ifujita.com )までお問合せ下さい。